2007年7月21日土曜日

「日本人の住まい」宮本常一著 中国新聞ニュース

 ある新聞の朝刊に私たちが今年五月に開いた「宮本常一生誕百年福岡フォーラム」に触れたコラム記事が出るという連絡があり、コンビニエンスストアヘ車を走らせた。四月のことである。
その記事の冒頭に本書「日本人の住まい」が刊行された、とあった。民俗学者宮本常一の未発表原稿の刊行らしい。早速、出版社に連絡し、十日後、送られてきた新刊本を速読しながら思わずこおどりした。私自身、数年間ひそかにあたためていたテーマについての記述を目のあたりにしたからである。それはまた、間近に迫ったフォーラムにとっても核心を突くものでもあった。
「食育」という言葉は広まってきたが、私は近年、「住育」という造語を提唱している。「住まいのあり方がそこに暮らす人のあり方を形成する」という意味である。
日本人の暮らしを知り尽くしていた宮本が「住まい」をどのようにとらえ、思索していたのか。時期といい表現といい、私にとっても的を射た著作。中でも「消えゆく縁側」や「戦後社会と団地」などの文章には、宮本が終生、自問自答してきた「日本の近代化の光と影」についての問題提起が色濃くみられる。
多くの国民が繁栄を謳歌し、近代化の道を駆けあがることを是とした高度成長時代。その時代にあって、宮本は「気候風土や環境と調和する住まいや暮らし」について明確なメッセージを残していた。
武蔵野美術大学名誉教授田村善次郎氏の「あとがき」によると、第一部は昭和四十三(一九六八)年に共同通信社の依頼で一日か二日で書き上げ、未発表の第二部は第一部の執筆前後に着手したのでは、という。
前年の昭和四十二年三月から九月まで宮本は再発した結核の療養を余儀なくされている。入院初日、完治かなわない病と切り結びながら、還暦を迎えようとする感慨の中、自らの余命を十年と想定。仕事のまとめをしなくてはならない旨の長い日記をつづっている。
極めて短期間のうちに著された「日本人の住まい」論。それはなぜだったのか。その意味もあらためて考えてみたい。

長岡秀世・宮本常一を語る会代表世話人
「日本人の住まい」宮本常一著 中国新聞ニュース